想像すること、身を委ねること

 

 

私たちは「想像する」や「思い描く」という言葉を、頻繁にしかもあまり深く考えずに毎日使っています。 この言葉は我々にとって実際はどういう意味を持つのでしょうか?

この問題について深く考えだすと、とても過激で不快な何かが同時に見え始めると思います。想像と は「自分を自分自身から取り出す」心的な行動であると私は思います。言葉を変えて言えば、想像す るということは自身の自覚のある意識の既存の領域を緩め、他の可能性にもっと開かれていくという ことです。ですから、想像するということはとても破壊的な行為なのです。もし想像することに真剣 に取り組んだなら、私たちは自分自身を見失い始めます。

プラトンはこのことを、詩人やアーティストの創造プロセスについて書いたときに、すでに知ってい たようです:

「詩人というものは、翼もあれば神的でもあるという、軽やかな生き物で、彼は、神気を吹き込まれ、 吾を忘れた状態になり、もはや彼の中に知性の存在しなくなったときにはじめて、詩をつくることが できるのであって、それ以前は不可能なのだ。けだし、いかなる人も、彼が、この知性という財宝を保っ ているかぎりは、詩をつくることも、託宣をつたえることも不可能なのである。」(プラトン、イオン -森進一訳)

いま、「想像力」や「創造性」という言葉は、学校やビジネスやアートにおいて人々を動機づけるため にとても安易に使われています。この言葉を耳にしたとき、私はいつもプラトンが語った意味で使わ れているかどうかを嗅ぎ分けてみようとします。

他の方法でこのことを掘り下げるために、イギリスの音楽プロデューサーであり思想家のブライアン・ イーノが実践した、「Surrender」について考えてみましょう。私たちの生活は制御する感覚に縛られ ており、それが管理や整理を可能にしています。しかし、人類は前史の時代より粉々に崩れる感覚や 心を奪われることにいつも魅力を感じていました。人類は大いなるものにひれ伏す状態に対する深い 欲求を抱えてるように見えます。音楽、ダンス、酩酊、宗教的儀式、狂宴、セックスなどをとおして、 人類はこの状態を得ていました。私はアートも身を委ねることに深く関わってきたと言えると思います。

想像することはコントロールを失うことです。そして深遠なレベルにおいて、「固定された自己」をな くし、「流動する自己」という感覚を取り戻すことでもあります。想像をとおして、新しい、突然変異 した主観を再発見し始めるでしょう。この脆弱な場所からアートは語られるのです。フランスの哲学 者ドゥルーズ&ガタリよると、芸術とは不和および枠を外す活動であり、己の再生へと導くものです。 そしてこの再創出はコントロールする力に本質的に抗います、それが国家や政治思想、資本に対して も現れるのです。